一喜一憂の毎日。

*義兄に表情が戻った


昨日は、事故初日から2週間までの様子を書いた。
人間の記憶は本当に脆くって、きちんとした数字が出せない。
事故から二週間と言うと


<7月19日>

ICUから脳外の一般病棟に移った2日目だ。
その時にはまだレスピレーター(人工呼吸器)が付いたままで、
むせ込みだけで全身を大きく震わせていた。
ただ、意識は若干クリアになり、
自分の歳を指で作ることが出来ていたことは昨日も書いたとおりだ。

それから数日、高熱が続いた。
姉も母も母も医療従事者ではなく、
熱が高いだけでてんやわんやと言った具合だったが、
大きな事故に遭い、出血・輸血などで身体に負担があれば、
熱が高くなるもの当たり前なので、私は割と冷静に観察していた。
(なんて言いながら内心は心配していたけど…(汗))


レスピレーターを長期で使えば、
唾液や痰などが肺に入ってしまい「誤嚥性肺炎」をおこす可能性が高くなる。
熱の原因を1つずつ減らすため、
本人の苦痛を和らげるため、気管切開を提案された。

普通に考えて
<ノドに穴を開けて管を通す>
なんてことは怖いことで、不安を感じるのも仕方ないと思う。
不安から姉は執刀医に失礼な質問をしたこともあった。
「先生は若いですけど、本当に安全な手術なんですか?」と。
姉も「あれは、失礼だったよね…(苦笑)」と反省している。



まぁ、ともかく手術は成功した。
それと共に、詰め所から常時監視できる観察室から
特別個室へと部屋を移ることになった。
これで、ようやく義兄は直接子供達と触れ合うことが出来るようになった。
それでも表情は戻らないまま。

漫画は読めるし、手を使ってイエス・ノーの反応も可能になった。
高次脳機能障害の中には、字を追って読むことが困難になることもあると
本で読み知っていたため、私は義兄に聞いた。
「漫画の吹き出し、ちゃんと読める?」
義兄は気管切開しているため声は出ないが、
口パクで漫画のセリフを読み、読む順も指で指し示してくれた。
とりあえず失認はないようだと、チェック項目の1つはここで消された。

高熱のため、意識や反応は大きく左右された。
今日は右手を大きく上げて自分から要求することがあった。
今日は声かけにも反応が薄く、ほとんど眠っているような状態だった。
などなど、毎日姉からの電話に励ましたり、喜んだりしていた。
家族全体が義兄そのものなのだ。
そんな日が数日続いた。


お待ちかねの表情が戻るのは、
<8月1日>
私が貧血でお見舞いにいけなかった日だ。
そして、義兄の意識回復後、父が初めて病床を訪れた日でもある。


でもそれはまた明日にしましょう。