高次脳機能障害とは、、、複雑。

*昨日の続きを…


事故に遭ってから4日が経っても目を覚ますどころか
声掛けにすら反応しない義兄に内心かなり焦りを感じていた。
意識障害が長く続けば続くだけ、回復が遅くなり、
残る障害も多くなることは明白だったからだ。


しかし、少しずつではあるが回復の兆しも見られないわけではなかった。
自発呼吸が90%近くになり、脳圧も点滴を使わずに安定した。
CRP(炎症反応:怪我やウイルス感染・発熱などあると値が高くなる)も
正常値近くまで戻り、白血球数も事故当初からは2倍ほどに増えた。
苦痛に対する反応も、むせ込みなどで身体を動かす程度に回復したし、
ピクッとだが足を動かすようにまでになっていた。


<声掛けに反応した。>


と確実にわかった日は、事故から10日目のことだった。
たまに動くことがあった右手を姉が握り、
「聞こえる?起きてっ!私の声がわかるなら右手握って!」
ICUで大声を出していた時のことである。
弱い力ではあったが、確かに姉の手を握るのを私もベッドを挟んで見ていた。
声が聞こえて、その内容を理解して、行動に移せるという事実を目の当たりにし、
心底ほっとしたような記憶がある。


それからは音刺激での反応を待った。
もともと子供が大好きだった義兄には、
きっと自分の子供の声が一番の刺激になるだろうとの事で、
その日のうちにテープレコーダーを買い、
嫌がる甥っ子に無理やり(笑)歌を歌わせたり、
「お父さん!がんばってね!待ってるからね!」と
何度も何度も言わせて、テープを一杯にすることにした。
甥には本当に酷なことをしたなぁ、と思いはするが、
結局、一番反応が良かったのが息子の声だったわけだから
ひどいことをしていた叔母を許してくれるに違いない。
姪っ子もわざと泣かせたりしてごめんね…。


<2週間後には一般病棟へ>
意識はクリアになっていないものの、
問いかけにきちんとした反応があり、
気管切開しているため話は出来ないが手で返答できるようになった。
看護士「今、歳はいくつですか?」の問いに
右手で2、両手で6を作って
「26」ときちんと答えることが出来ていた。
それでも、表情はほとんどなくきちんと返答できるのも
半々と言った感じで、両手をあげて喜ぶというわけにはいかなかった。


初めのうちは、「生きていればそれでいい」と思っていても
回復すればするだけ、自発呼吸、声かけ反応、発語…
人間と言うのは、本当に欲が尽きない生き物で、
未だにその欲が湧き出ていることに嫌気がさす。
これでは義兄もつかれてしまうだろうな。

今では、一日の記憶の6割を記憶し、
車椅子も自走でトイレへ行ったり、リハ室へ行ったり。
事故から4ヶ月の割には回復は早いと思っている。
本人は「高次脳機能障害」の自覚がないから、
どう受け止めているかはわからないけれど。

今の状態になるまではまた明日にしたいと思います。