笑顔は人に安心感を与えるもの

*一昨日・昨日と日記をお休みしました。

続きを気にしてくださっていた方、たまたま読みに来てくださった方、
今日からまた続きを書きたいと思います。
今日は表情が戻るところからですね。


*表情が戻る

意識が戻ってから、義兄が初めて自分から意思を伝えたのが
「謝罪」のジェスチャーだった。
自分の顔の前に両手を合わせて、姉に「ごめん」と伝えたのだ。
もちろん、声は出ないし表情もないので、
その動作のみだったが、必死に伝える姿に涙が出た。
母に対しても同じで、何度も何度も両手を合わせる義兄に
私たちは「いいんだよ、大丈夫。焦らないでいいよ。」としか言えなかった。
義兄が自分の今の状況を自覚し始めた頃のことである。

その後も表情は苦痛の時のみで、
それ以外の表情を見せてくれることはなかった。


しかし、意外なことで義兄の表情が戻った。
うちの「父」だ。


家族内では少々お調子者の父ではあるが、
友人や知人などからは「面白いお父さんだね」と評判(?)の父である。
義兄は、1週間に1度は必ず姉の実家である我が家に遊びに来ていたのだが、
父のくだらない話にも必ず笑って答えていてくれた。
我が家は自営業ということもあり、
事故後は、母は孫の世話・父は店の営業のため
義兄のお見舞いにはなかなか行けずにいた。
そして、久々に義兄の病床を訪ねていったのが、
<8月1日>なのである。


本当に残念でならないのだが、
私はその日、体調が悪く会社を休んで家で寝ていたため、
義兄を見舞いに行くことが出来ず、義兄の表情は直接見ていない。
なので、姉と母の証言を元に書いていこうと思う。


<笑った!>

病床を訪れた父を見て、義兄はものすごく驚いたらしい。
その時点で表情の回復の一歩だったのかもしれないが、
私たちを安心させてくれる「笑顔」を作ったのは、帰り際のこと。
いつもの通り、高熱のため反応はそこそこだったようだが、
父は、事故直後の様子しか見たことがなかったため、思った以上の回復に喜んでいた。
しかし、お調子者で的外れな父はよくわからない発言を残して病床を出ようとした。


「お父さんも頑張ってるんだから、○○クンもがんばれよ!」


文章にしてみると、案外普通に読めるかもしれないが、
確実に父よりは、高熱と度々の手術後の痛みと戦っている義兄のほうが
頑張っているはずなのに、
自分(父)と義兄を同じ土俵に置く父の感覚に、
「トホホ」的な笑いだったのだろう、
義兄は父に頭を下げて、苦笑の表情を浮かべたのである。


「苦」ではあったが、確かに笑った。


いつもはズレている父に嫌気が差すところだが、
その日ばかりは「ワッショイ、父さん!」ていうくらい
父を貴重な存在なのだと持てはやした。
父のおかげで義兄の笑顔に再び会う事が出来、心がほっこりした。
やっぱり、笑顔のパワーはすごい。


それからは、表情は徐々に増え、
体力も戻ってきたことから気管も閉じ、会話が出来るようになった。
順調に回復していくかのように思っていたが、
これからが本当の「高次脳機能障害」との対面となる。


我らの最大の敵
<記憶>
との戦いが始まる。


でもそれは、また明日にしましょう。