人の脳ってのは不思議。

*記憶力の変化に気づく


一番初めに気づいた記憶の変化は、
自分の住んでいた場所の記憶が1年近く前の記憶に戻っていたこと。

転勤の多い仕事をしていた義兄は、
事故の9ヶ月前に我が家と同じ市から、80Kmほど離れた土地へ
生まれたばかりの長女ともうすぐ3歳になる長男を連れ(もちろん姉も)、
慌しく引っ越していた。

この引越しのこともそうだが、
下の子供が生まれたことも含めた事故から1年程前の記憶が、
丸々すっぽり抜けてしまっていたのだ。


それの変化に、姉はかなりのショックを受けた。
息子を見るときと、娘を見るときの顔が違う。
自分の息子を息子と自覚しているのと、
娘を娘と思えずに見るのは、それは違って当たり前かもしれない。

ただ、その感覚は義兄だけのものであって、
義兄の変化に順応できない家族達はその反応を受け入れられない。
そういう変化に少しずつ順応しなければならないのだが、
一番身近にいる姉が一番気持ちを整理できないでいた。
いや、未だに整理は出来ていない。


そして、その記憶は不思議なことに徐々に後退していってしまった。
今は、3年ほど前の記憶と最近の記憶が入り混じっているような状態。
娘のことは少しずつ「自分の子供」と納得しようと努力し、
最近では、傍から見ているとお父さんの自覚が出たのか?と
思ったりするが、義兄本人の思いは確かめたことがなく、
どう思っているか、実のところはわからない。


術後は記憶力も体力もガタっと落ち、後退も進んだが、
作業療法・言語療法・理学療法のリハビリ3本立てが本格的に始まり、
後退していった時の10分の1の速さ(遅さ?)で回復しているようだった。
「ようだった」と言ってしまうのは、私から見る義兄の印象であって、
他の家族はもう少し遅く100分の1くらいの速度だと考えていたから。
だが、それでも確実に回復はしていることは家族みんな自覚している。



一番自覚していないのは義兄本人。
本人の中に高次脳機能障害を抱えているという自覚はほぼ無い。


なぜなら、両足を骨折し、今の義兄のリハビリの中心は理学療法(歩行)だからだ。
(もちろん、記憶力のリハビリ、言語機能のリハビリも同程度で行っている)
そして、家族の中の誰よりも、仕事に復帰できるとも思っている。
そのせいなのか、作業療法で勧められている「メモを取る」事を重要視できない。
自分の記憶力の変化に気づくのはきっと、歩行が安定した頃からなのだろうか。
これから先のことはさすがに日記には書けないので、
明日からは、義兄の毎日と家族の反応を細かく書いていけたらと思っている。



明日から過去を振り返らずに、毎日のことを書けるのは
義兄が生きていてくれたから、そしてこれから先の道があるからだと
私は、この日記を書いていて改めて実感している。