記憶はどこまで戻ってる?

*どこまでが冗談で、どこまでが本気?


義兄はもともと微妙な冗談の好きな人なので、
最近、記憶力の回復の程を知るための質疑応答が難しい。

私「(DVDを見た後に)どんな話だった?」

義兄「う〜ん、男と女が出てたよ」

私「そうか(苦悩の表情・・・)、じゃ内容は?」

義兄「えっとー、まぁまぁ面白かったかな。」

会話としては成り立たないわけじゃないけど、
「いやいや、そういうことじゃなくって」って思う会話なんです。


最近、自分の記憶を試されてることに気づいているから、
こういう反応をして面白がっているのかもしれないな・・・
って思えるくらい、記憶力が回復しているようだから、
こちらの反応・受け取り方がものすごい難しい。


正直に「ちゃんと覚えてんの?」なんて聞けるのは、
嫁の姉くらいなんですよね。
控えめな家族と積極的な嫁でいいバランスなのかな。

入院生活ではわからない

*姉と甥と姪が我が家に


今日の義兄は特に変わりなく。
リハビリ室によく来る患者さんの名前を覚えられたことと
夕方5時に昼食の内容を思い出せたこともあり、
今日の記憶力も昨日同様調子が良いよう。


だた、最近思うのは普通の生活に戻ってからのこと。
記憶しなければならないことは、入院生活中の100倍はあるだろう。
仕事に復帰するとなればその倍はくだらない。
まだ、リハビリ中とはいえ、どの程度回復するかは不安。
これからどうなるのか・・・



年末に向けて、年賀状を用意しなければならない季節になりました。
明けても暮れても「めでたい」とは思えなかった今年。
どんな年賀状を書けばいいのやら。
意外に、義兄に書いてもらったら良い年賀状になるかしら!?

自主練してたっ!?

*義兄の自覚について


高次脳機能障害については2割の自覚しかない義兄だが、
両足の不自由さについてはかなり自覚しているようで、
家族も姉も病院のスタッフさえも気づかない間に、
病棟内を松場杖で2周するという自主練をしていたよう。


賛否両論あるようだが、私は賛成派です。
やれること、思いついたことはやったらいいと思う。
怪我するかもしれないからってやらないでいるよりは、
病棟内なんだから、そこまで心配することも無かろうと。
がんばれ、義兄!
でも無理はしないでね。


今日は記憶の方も調子か良かったようで、
三宅式単語テストが満点取れたと喜んでました。
こういう調子の良い日は家族も声が明るくて安心するなぁ。
でも、一喜一憂は焦りに繋がるので、平静を保たなきゃとも思うのであります。


義兄の願う、職場への復帰に対して。
医療相談員の考え(家族と面談時に)としては、困難。
家族としては無理なことは無い。
っていうのが正直なところの考えです。


まだまだ現実問題として捉えるには早い問題だけど、
早いからこそ、
相談員としては期待を強く持たせることに慎重になるし、
家族としては、無限大の期待をしてしまう。


この職を選んだ時にまさかこんな事態になるとは思ってなかったな・・・。

PTさんとOTさんと仲良しこよし♪

*本日の義兄


エアロバイクで疾走し、汗をかきまくった義兄が言った一言。
「あぁ、入院したのがが冬でよかった。汗の処理が楽で。」とのこと。


ヘイヘイ、義兄さん。
正確には入院したのは夏だからね。
ってツッコミは無しにしても、少々お気楽すぎるお言葉。
まぁ、それが義兄の思惑の全てとは思わないが、
高次脳機能障害に対しての自覚もこの程度なんだなって思う。


いちいちそんな事でって思う人もいるかもしれないけど、
家族にとっては、
一言一言が「中学校の頃の試験範囲」くらいビクビクするものなんです。


でも、
それ以上に、義兄は自分の発言(質問への返答)に
ビクビクしているんだろうな。

どう答えたらいいのさっ!って思ってしまう。

*外泊の後はいつもこう・・・


義兄が今日病院へ戻りました。
たった一日の外泊だけど、考えることはたくさんあって。


まずは姉の義兄への厳しい(しつこい)ツッコミ。
ツッコミと書くとあまりトゲがないですが、
腹立たしいほど、嫌なことをネチネチと責める。
あれは、言われてる本人がかわいそう。
端で見ていてもイライラさせられる。
どうにかならないものか。


そして、家族の焦り。
今の状態がいつまで続くんだろうというのは、
家族全員が思っていることで、
孫の面倒を見ている我が家の母が焦るのもわかる。
で、本人が焦っていないのをみると、なおのこと焦る。
焦るなとも言えないし、どうしたらいいものか。


義兄は昨日・今日の外泊をどう感じたかな。
外泊後はいつも、
「嫌な思いをたくさんしたのかな・・・」
と不安な思いで一杯になってしまう。


足が治って身体が自由になるまで、
高次脳機能障害」の自覚は難しいと思っているから、
今、義兄に「自覚」を求めるのは酷なことだと思う。
でも、そう思っているのは私だけな気がするんだなぁ。
家族も頭ではわかってても、気持ちが追いつかないみたいだし。


少し厳しい指摘とゆったりとした受容の気持ちが大事なのかな。
答えなんてないか。



買い物に行けるようになったっていう
回復があったことをみんな忘れちゃったのかな・・・

義兄、外泊!

*静かな病室とガヤガヤの家は疲労度も違う!?

今日で4度目になる義兄の外泊。

仕事から帰ってみると我が家の駐車場に姉の車が。
前もって聞いていたわけではないが、
なんとなく今日外泊しにくるのかなぁ・・・なんて思ってたから、
現実化してちょっとビックリ!


普通外泊と言うと、入院前の自宅に戻るのが通常かもしれないが、
自宅も義兄の両親の家も社宅なため、バリア的にと人員的な面から
病院から高速で1時間かかろうとも、我が家に帰ってくる。
まぁ、事故前から1週間に1度は遊びに来ていたわけだから、
そんなに気を使うことなく過ごせる場所だとは思う。


義兄は今、日記をつけている。
正確には8月の中ごろから毎日付けているわけだが、
その日記はいろんな人のチェックを受けて、訂正・書き加えが
言い渡され、義兄はそれに従って書き記す。

一番のチェッカーは、もちろん姉。
一番詳細まで読んで、一番厳しい指摘をしてしまう。
気持ちはわかるし、ある程度のチェックはあったほうがいいと思う。
でも、頭ごなしに「あれだ、これだ」と訂正するのは、
義兄のためにも良くないと常々感じる。
義兄の表情を見ていても、姉の細かすぎる指摘は
あまり良い影響だとは思えない。

姉の言いたい気持ちもわかるし、
義兄に自分のペースでやって欲しい気持ちもある。
こういう場合は、やっぱり姉の厳しすぎるチェックを注意すべきなのかな。


<papabonさんのブログより>
当事者の気持ちを理解したいなら当事者になること。
という言葉はまさにその通りだと思う。
もちろん、高次脳機能障害の当事者になったわけではないが、
最近、こうして日記を真剣に書くようになって、
ガヤガヤした中で文章を構成することの難しさを初めて知ったとき、
義兄が初めて外泊に来て日記を書いたときのことを思い返した。


初めての外泊の時は、義兄への期待があまりに強くて、
その日の日記を家族みんなで添削し、義兄に強いストレスを与えてしまったのだ。


いつもは静かな病室でゆっくり日記をつけるのに、
急にガヤガヤしたところで
「さぁ、思い出せ!書け!」
と言われても書けるわけなんてないのに
いつもより記憶力(そのときは想起能力かな)の悪い義兄を責めてしまった。
あの時よりも少し冷静な今、あの日を思い返すと
義兄には本当に辛い思いをさせてしまったと反省せざるを得ない。
papabonさんや、くんさんのブログを拝見させていただいて、
1つ心に留めておかなければいけないのは「焦らないこと」だと知った。


とても難しいことだが、義兄にはとても大切なことだろう。



<私的なこと>
医療相談員という仕事をしていながら、
いや。しているからなのか、感情と良い距離を保てずに、
義兄も姉もどこか冷めた目で観察している自分が嫌になることがある。
勝手に焦ったり、傍観者になったり、
義兄や姉にとって決して肯定だけの人間ではないが、
それでも私の距離からしか書けない事があるはずなので、
なんとか日記を書きつづけようと思います。
なんて、自分勝手・・・

人の脳ってのは不思議。

*記憶力の変化に気づく


一番初めに気づいた記憶の変化は、
自分の住んでいた場所の記憶が1年近く前の記憶に戻っていたこと。

転勤の多い仕事をしていた義兄は、
事故の9ヶ月前に我が家と同じ市から、80Kmほど離れた土地へ
生まれたばかりの長女ともうすぐ3歳になる長男を連れ(もちろん姉も)、
慌しく引っ越していた。

この引越しのこともそうだが、
下の子供が生まれたことも含めた事故から1年程前の記憶が、
丸々すっぽり抜けてしまっていたのだ。


それの変化に、姉はかなりのショックを受けた。
息子を見るときと、娘を見るときの顔が違う。
自分の息子を息子と自覚しているのと、
娘を娘と思えずに見るのは、それは違って当たり前かもしれない。

ただ、その感覚は義兄だけのものであって、
義兄の変化に順応できない家族達はその反応を受け入れられない。
そういう変化に少しずつ順応しなければならないのだが、
一番身近にいる姉が一番気持ちを整理できないでいた。
いや、未だに整理は出来ていない。


そして、その記憶は不思議なことに徐々に後退していってしまった。
今は、3年ほど前の記憶と最近の記憶が入り混じっているような状態。
娘のことは少しずつ「自分の子供」と納得しようと努力し、
最近では、傍から見ているとお父さんの自覚が出たのか?と
思ったりするが、義兄本人の思いは確かめたことがなく、
どう思っているか、実のところはわからない。


術後は記憶力も体力もガタっと落ち、後退も進んだが、
作業療法・言語療法・理学療法のリハビリ3本立てが本格的に始まり、
後退していった時の10分の1の速さ(遅さ?)で回復しているようだった。
「ようだった」と言ってしまうのは、私から見る義兄の印象であって、
他の家族はもう少し遅く100分の1くらいの速度だと考えていたから。
だが、それでも確実に回復はしていることは家族みんな自覚している。



一番自覚していないのは義兄本人。
本人の中に高次脳機能障害を抱えているという自覚はほぼ無い。


なぜなら、両足を骨折し、今の義兄のリハビリの中心は理学療法(歩行)だからだ。
(もちろん、記憶力のリハビリ、言語機能のリハビリも同程度で行っている)
そして、家族の中の誰よりも、仕事に復帰できるとも思っている。
そのせいなのか、作業療法で勧められている「メモを取る」事を重要視できない。
自分の記憶力の変化に気づくのはきっと、歩行が安定した頃からなのだろうか。
これから先のことはさすがに日記には書けないので、
明日からは、義兄の毎日と家族の反応を細かく書いていけたらと思っている。



明日から過去を振り返らずに、毎日のことを書けるのは
義兄が生きていてくれたから、そしてこれから先の道があるからだと
私は、この日記を書いていて改めて実感している。